どうですかねぇ〜35


私は名古屋出身。今日は名古屋弁について書きますが多分に自虐的です。現在は名古屋で過ごした期間より出てからのほうがはるかに上まわります。名古屋から大阪→東京→大阪→東京の今日に至ります。大阪は通算すると10年は住んでいたことになりますが、さすが関西弁は使えません。いかにもとってつけたようなので。まあ私は元来水くさい人間なのか、そうこうしているうちに名古屋弁は使わなくなりました。でもきっと今でも聞く人が聞けばイントネーションにその片鱗があると思いますが。
兄姉と電話で話したりしていますと、名古屋弁が気になるんですよ。どんだけ故郷愛が欠落しているのかしら<(_ _)>。次姉は「まあ、名古屋市長の河村さんは名古屋弁を大げさに使って恥ずかしいでいかんがね」と言います。いやいや姉さんの方がこてこての名古屋弁です。その姉は「きんのう栄(名古屋の中心地)に行ってね」と話します。「きんのう」・・・・って、なんでまた「勤王の志士」が栄に行ったの?と不思議。。。ははん、そうそう名古屋は「きのう(昨日)のこと「きんのう」と言うのです。なんかこの「きんのう」は間延びして緊張感が無くなります。

学生の頃夏合宿で信州に行きました。かき氷を注文する時、ひとりの先輩が「きぃないの」と言いました。お店のおばさんが「きぃないの?・・・・イチゴですかメロンですか?みぞれですか?」「いや、きぃないの」と先輩。押し問答が続きやっと分かって貰いました。名古屋弁の「きぃないの」=「黄色いやつ」で、すなわちレモン。おばさんは「きぃないの」を「黄色ではないやつ」と解釈したようです。確かにねおばさんがそう思っても仕方がないですね。
やっとかめだね=ひさしぶりね、どえりゃあ=ものすごく、みえてみえます=いらっしゃっていますの丁寧語・・・・・などいろいろ。「みえてみえます」は東京の人がそう言われて「誰が見えるんだろう」と辺りを探したそうですよ。

昔、タモリ浅井慎平さんの対談があって名古屋弁を語っていました。(ちなみに浅井さんは名古屋出身です) 戦国時代の織田信長豊臣秀吉徳川家康もみんな愛知県出身。名古屋弁を使わないはずがない。戦略会議も武将達はみんな名古屋弁でやっていたはずだと。ちょっとnikkokisuge的に脚色しますと
「わしはよ、こっちべたの川岸から攻めてみるでよ。おみゃあさん、どっちから攻めやぁす?」
「そうだねぇ、ほんならわしは向かい側の山から攻めるみるがね」
「そりゃええね」
「そこでだまってりゃあす、○△殿はどう考えてりゃあすね?」
「川・山と決まったでね。わしは街道で行こうと思っとるがね」
「そりゃええ考えだでいかんわ」
「三方から挟み撃ちだがね」
「そりゃええわ」
「そうだ、そうだ攻めよみゃあ!」
「攻めよみゃあ!」
「攻めよみゃあ!」   
こんな感じですかね。
う〜ん、どうですかねぇ〜、軍法会議にはちょっと迫力にかけますかね。でもこんな風にみゃあみゃあ言って天下取ったわけですから、名古屋弁恐るべし!!・・・?