月島散策&もんじゃ焼き

東京都内の下町散策の今回は東京都中央区の「月島」。明治25年の「東京湾澪浚(みおさらい)計画」に基づき埋め立てられて出来た町です。当時は富国強兵の気運高く鉄工所が多かったらしいですが、時代も変わり今や高層マンションが建ち並ぶ街へと変化しています。
地名の由来は月の名所「月の岬」からきているとのことです。


広い清澄通りから2筋入ると西仲通り商店街。別名 月島もんじゃストリート。この通りもんじゃのお店しか並んでいないと言っても過言ではありません。約60店舗のもんじゃ焼き屋が並んでいるのです。お店も人が一杯。もう観光地ですね。一通りこのもんじゃストリートを歩いてみます。さっきからもんじゃもんじゃと言っているけど、「いったいもんじゃって どんなもんじゃ?」ですよね。
はい、もんじゃは粉もの、いわゆるお好み焼きのようなもの。しかし似て非なるものです。というか非にて非なるものです(笑)。私は最初、居酒屋で食べたとき「なんじゃ、この奇っ怪なるものは! こんなものを江戸っ子は喜んで食べているのか! お好み焼きの仲間にするな!」と激怒したものです。大阪から引っ越してすぐだったものですからね。完全に大阪びいき。



もんじゃストリートの細い路地にももんじゃのお店や床屋さんがあったりです。玄関にはお約束の植木鉢が並んで。昭和レトロが今もここに。
路地の間から高層ビルがニョッキと見えます。月島今昔ですね。











もんじゃの最初の印象がとても悪い私。その話をしたら浅草住まいの若い女性が、そんな印象を持ってもらっては困る。私たちが美味しいもんじゃと正しい食べ方を教えますと浅草のもんじゃのお店に連れて行ってくれました。
なるほど専門店で食べるもんじゃは美味しい。認識を変えました。それももう5年ほど前のこと。以来食べていませんが、今回テレビで月島を見た夫がうす〜く興味を持ったので出かけてみたのです。
どのお店も混んでいましたが、ちょっと端の方に行くと空いたお店もありました。
四代目 みっちゃき。「月島で生まれて育って4代目! 私みっちゃきです。鰹と昆布の旨いだし、お江戸の味をぜひ!」とあります。いいじゃないの、入ってみましょう。





店内はこんな感じ。この下町感がいいですねぇ〜。ポッピーくださいといいたいところですが残念、ここには無かったので生ビールを。








さて頼んだもんじゃは、みっちゃきオススメ「北海道○○」。メニューの名前忘れました(汗)。ホタテとじゃがいもとエビとコーンなどが入ったものです。お店の人に焼いてもらいました。



1.お椀に具材の入ったものを軽くかき混ぜる
2.鉄板に流す。このとき底に沈んでいる生地は全部流さず残しておく
3.具をまぜまぜしながら切りながら炒め長方形の形にします
4.長方形をまあるくして土手をつくります
5.そこに先ほど残しておいた生地を流します もんじゃカルデラ湖の完成!
6.ちょっと間 カルデラ湖をキープし、また繰り返し混ぜ合わせます
7.鉄板いっぱいに広げます
8.ぶつぶつしてきたら出来上がり 小さいはがしで焦がしながらすこしづつ取って食べます


もんじゃ焼きの原型は安土桃山時代千利休が作らせていた「麩の焼き」だとか。これは意外。小麦粉を水で溶かし焼いてお味噌をつけ巻いたお菓子で茶菓子に使われたのです。そして江戸末期にはお味噌ではなく餡と替わって「助惣焼(すけそうやき)」と呼ばれ、どら焼きの由来に。
それがだんだん、ショウガやキャベツ、切りイカなどが入りお好み焼きと変化したんですよ。子供の頃は駄菓子屋さんに鉄板があり焼いて売っておりました。確かに名古屋ではお好み焼きではなくもんじゃ焼きと呼んでいましたわ。
下町の子供中心のおやつでしたが、駄菓子屋もなくなり、大阪にも広島にも形を変えて伝わり、今や大人の酒のつまみとなりました。ビールが美味しいんですわ!



もう一回りのもんじゃストリート。ただ一軒魚屋さんがあり、そこに佃煮が並んでいました。「江戸特製佃煮」とありますよ。こりゃ買わなくちゃ!
がしかし、帰ってよく見ると千葉県産でした。まあ、いいか。千葉も内房江戸湾だもんねということで。







月島のすぐ横には隅田川が流れています。スカイツリーも見えます。24日土曜日でしたがこの日は夏日。川風が心地良かったです。