権太楼噺爆笑十夜 

鈴本演芸場ゴールデンウィーク特別興業ってことで、柳家権太楼師匠もじっくり聴いてみたかったので6日の夜に行ってきました。大体、映画落語は気楽に一人で行きます。
お正月興行以外寄席に行くのは滅多にありません。いつも独演会を好んで行ってますので。
この6日の出演者が私の好きな噺家さんが勢揃い。
桃月庵白酒柳家さん喬・柳亭市場 の各師匠とあらばいかねばの。そしてトリに権太楼師匠「たっぷり!」なんであるからして。



権太楼師匠は1947年東京生まれ。柳家つばめに入門しますが師匠が亡くなりまして、柳家小さんの門下に入ります。35歳で真打となり三代目柳家権太楼を襲名したとのこと。ウィキペディアには「現在を代表する爆笑派」とありますよ。爆笑派って、落語はみんな面白いんですけど。まぁ(笑)ではなく(爆)ってことですね。
この、ゆったりした、ご愛嬌たっぷりなお顔。噺の中ですねたりするところが、とても可愛い。師匠に向かって可愛いとは、ごめんあそばせ。







今晩の噺は「抜け雀」
小田原の夫婦二人で営む小さな宿に、薄汚れた風体の若い男が泊まります。男は悠然と「泊まってやる。内金に百両も預けておこうか」なんて言うことだけは大きい。7日間泊まるのですが起きては酒、そして又寝るというぐうたらぶりで一日に三升、ずっと飲み続けます。そろそろ不安に思った宿の夫婦。内金をいただきたいと催促にいきますが、「金はない」と態度がでかい。
男の商売は絵師で抵当(かた)に衝立に絵を描いてやると。その衝立は絵師屋の職人がやはり抵当に置いていったもの。無銭飲食で大事な衝立に絵を描かれてたまったもんじゃないとすねながらも墨をすります。が、その墨の香りの良いことに感心します。
一気に描き上げた衝立には雀が5羽。1羽1両で5両じゃと。わしが帰りによって金を払うまで売ってはならぬと言い残し宿を発ちます。
翌朝、二階で雀の鳴く声が聞こえるので上がってみると、衝立の雀が抜け出し外で餌を食べ、衝立に戻るのです。その雀見たさに宿は客で大繁盛。評判が評判を呼びます。
そんなある日、60過ぎの品の良い老人が泊まり、その絵を見ます。この絵には止まり木が無い、このままでは雀は疲れて死んでしまう。書き足してやろうと鳥籠を描きます。すると飛んでいった雀は籠の止まり木にぴたりと止まります。
これまた評判を呼び、とうとう藩主の大久保加賀守まで現れて感嘆し、この絵を二千両で買うといいます。しかし、律儀な亭主は若い絵師の約束を守ります。三月したら帰ってくると言っていたから。
三月たつと今度は立派な身なりをしてその若い絵師が戻ってきます。衝立に老人が籠を書き足した話をすると、若い男は衝立の前にひれ伏すと「いつもながらご壮健で。不幸の段、お許しください」という。老人は父親だったのです。親子二代で名人の絵師とはと亭主はめでたいと褒め称えますが、若い男は「何が目出度い。俺は親不孝をした。親をかごかきにしてしまった」と。

権太楼師匠は確かに爆笑派でした。身振り、顔の表情にもう大笑いさせていただきました。有り難うございました。