『画鬼・暁斎』 三菱一号館美術館

CMで桜庭ななみちゃんと工藤阿須加君が「三菱地所を、見にいこう」とやっていますよね。ほんならオジサンもオバサンも行ってみるべとやってきました。しかし本当に丸の内のこのあたりはいい街です、洗練された街です。都会の喧噪を忘れさせてくれます。
そんなひとときを三菱一号館美術館で開催されている『画鬼・暁斎』を満喫。


     狂ってたのは、

     俺か、

     時代か?


 とサブタイトルが付いています。

 さぁて……どっちでしょうね?

















河鍋暁斎(かわなべきょうさい)は幕末に生まれ6歳で浮世絵師 歌川国芳に入門します。国芳の教えを守って写生する心に徹します。9歳の時、梅雨の長雨により神田川決壊で多数死人が出たそうですが、生首を拾い家に持って帰り写生したという逸話が残っています。その事で親は驚愕し狩野派に転じさせ正統的な画法を学ばせます。そりゃ親も周りもびっくりですよね。
いやいやなかなか迫力のあるお顔ですね。自分でも「狂斎」と名乗ったほどですから。でも瞳は優しいですね。今の世なら歯並びの矯正をしたら、ずいぶん顔立ちの印象は変わると思うのですが。。。
はい、いらぬお節介でござりまする。ごめんあそばせ。







この絵は弟子のジョサイア・コンドルが描いた暁斎の絵を描く姿です。ジョサイア・コンドルはイギリス人の建築家でお雇い外国人として来日し、政府関連の建物の設計をしました。三菱一号館も彼のデザインですし鹿鳴館や東京帝室博物館本館などもそうです。
暁斎の絵画に魅せられ弟子入りし、また暁斎も可愛がり旅行もよく一緒にでかけたようです。暁斎より「暁英」という号ももらいました。





この「大和美人図屏風」は暁斎がたった6ヶ月で描き上げた二曲一隻となる屏風絵です。コンドル夫妻(奥様は日本人です)への贈り物です。コンドルは生涯大切にして、現在は京都国立博物館に寄託されています。美人画もさることながら背景の描写も事細かく暁斎の筆力をうかがい知ることができますね。



美しい作品を続けましょう。暁斎美人画です。
「文読む美人画狩野派らしい正統をいく美人画ですね。




「横たわる美人と猫」




「美人観蛙戯図」










「枯木寒鴉図」
1881年第2回内国勧業博覧会へ出品し、日本画の最高賞妙技二等賞牌を受賞。100円と高額の値段を自分で付けます。周囲は高すぎると非難しますが「これは烏の値段ではなく長年の苦学の価である」と暁斎は言い放ちます。榮太郎本舗の当時の社長が意気に感じ買い上げたということです。
鴉の描写をご覧いただきたく下方の枯木部分はカットしました。











続きまして「画鬼」たる所以の作品を。
左が「がいこつの遊戯ヲゆめに見る図」 右は「鳥獣戯画 猫又と狸」
暁斎というと私は妖怪や幽霊、戯画のイメージが強く、最初の師匠が国芳ですしね。やはりそこはそれ骸骨がお好き(笑) 
でもその骸骨も三味線を弾いていたり踊っていたりとユーモラスです。「鳥獣戯画 猫又と狸」猫の部分が貼り付けてありますが最初のが気に入らなくてそこだけ書き換えたのでしょう。





暁斎の作品は当時海外に多く買われていきました。そして今回NYのメトロポリタン美術館所蔵の作品も数点展示されていました。左が「蛙を捕まえる猫図」 右が「うずくまる猿図」
58歳で亡くなる前年頃に描かれたものと言われていますが、その筆さばきはさすがとうなされます。大胆な構図も見応えがあります。






「狂ってたのは、俺か、時代か?」
さぁて……どっちでしょうね? と冒頭に書きましたが、見おわって感じたことは
暁斎先生、狂っていません。」
私なんぞが言うのも奥がましいですが、絵がとにかく上手い! 動物を描いても美人を描いてもも山水画を描いても戯画を描いても、なんでもこなせる天才です。
58年の生涯で相当数の絵を 描いた・描けた ということですので、その偉業がかえって狂っていたと言われるところかもしれませんね。

※画像は展覧会のPHや図鑑より