北アルプスは古道(ちょっとだけ)

昨日の茨城青年の念力が通じて今日は快晴。ほんじゃ私たちも宿のおにぎり弁当をしかと持って出発しましょう。


昨日ざざ降りで断念した蝶ヶ岳、今日は上高地まで戻らなければならないのでちょっと時間がかかります。よって今日も断念し、徳本峠(とくごうとうげ)へ。徳沢から明神まで戻り、そこから徳本峠を目指します。しばらくは平坦な道が続きます。







人っ子一人いません。夫はリュックともうひとつ肩下げカバンを持っています。重いんでないのということで、デポすることにしました。デポとは荷物や装備をため置いておくことです。こういうことに几帳面な夫は「デポ。7/14お昼過ぎに回収します」とメモを貼り付けて。
身軽になってさぁ、登りましょうかね。





北アルプスへの山道としてはマイナーですがよく踏まれ整備されているジグザグ山道です。初日に見た高山植物も多く咲いておりますが、すでに花名は出てきません。「おととい見た花だよね」を繰り返します。




徳本峠の「峠小屋」。島々谷から徳本峠へ登り上高地へと下るのがメインルートでした。この小屋は大正12年から営業しているとか、歴史を感じさせますね。約2時間半(小休憩を入れて)かかりましたよ。ここで昼食休憩。








小屋から45秒で展望台に行けるというので行ってみました。生憎雲が多く穂高連峰はその全容を現してくれませんでした。1893年明治26年)の夏、イギリス人の宣教師 ウオルター・ウェストンは島々谷の嘉門次を山行き案内役にして徳本峠を越えて穂高に登ったのです。この峠からの眺めを「穂高岳の巨大な山がそびえ、その南のすそ野を白い小石を敷き詰めた幅広い梓川の川床が、大きく曲がりくねっている。」と絶賛したということです。それで上高地へのルートも新道が造られトンネルが造られバスも乗り入れることになり現在よく利用されるルートが開発されたわけです。北アルプスへの古道を歩いてみたくなったのでございます。でもやはりそういうには島々から登ってくるのが本道ですわね。ですのでちょっとだけ古道。

1時間余り十分の休憩をして下山。ところがどうも私軽い熱中症にかかったみたい。水分は十分に摂っていたのですが、ひょっとしてポカリスエットを半分薄めていたケチの部分が災いしたか。。。濃いままのポカリ1本を飲み干し、しばらく休むと調子が戻ってきました。これなら大丈夫。無事下山。デポも無事。



※写真は初日に立ち寄ったときに写したものです。第一・第二と二つ池があります。
明神池の嘉門次小屋で岩魚の骨酒を呑む予定でしたが、上高地までまだ1時間は歩かなければなりません。雨もぱらついてきました。体調を考慮し、お酒は止めておこう! 私としてはえらい決断でござりまする。



今日のお宿「五千尺ホテル」。ここのフレンチは最高です。夜、トッポ君が星のガイドをするというので楽しみにしておりましたが、生憎の雨&曇り、中止です。なんでも梓川の河原に寝そべって満点の星空観察だそうですよ。残念!









翌朝は小降りの雨。近くの岳沢湿原の木道を散歩しました。その先はカラマツ林の道となり明神に繋がります。我々が初日に歩いた道の反対側でして、もしハイキングだけでしたら河童橋より明神池まで梓川をはさんでこの道、あっちの道を使って往復するのもオススメです。2時間ぐらい。




迷彩柄のゴアテックスに飽きたらず、ホテルでポンチョを借りて嬉しがるオッサン。
やっぱ、、、軽〜い 人だわ。









昼前に上高地を発って、無事東京に戻りました。涼しい避暑地から暑い東京へ、その落差を思いやりうんざりでしたが、、、あらっ、帰宅した15日、16日は東京も意外にも涼しく体もなじみました。