2017年1月の俳句

新しい句会に参加して3回ですが、苦労しています。いままで伝統俳句で「季語の意味をしっかり踏まえて作りなさい」で育ってきました。新しい主宰は季語はそんなに重要視しません。今の時代に通用しない行事や単語そのものは多々あります。そんな古い季語は不要を言い放ちます。それは一理ありますね。また古い季語だからこそ掘り起こして息を吹き返したいという俳人も居ます。それも一理あると思います。そのように揺れ動く私でございます。
古くさい句は作るなの主宰は、例えば母と子が凧揚げで走っている情景を詠みますと「もう母と子は走らせなくていい。ありきたりだ。なんで姑を走らせないのか! 姑にしたらもっと句が広がる」と評をします。そういう発想も面白いと思うのです。


冬晴れて甲州古道尾根の道 (ふゆばれてこうしゅうこどうおねのみち)

季語は冬晴。二日にトレッキングした古道は風もなく晴れ渡った日でした。



初小言屠蘇お代わりにもらいけり (はつこごととそおかわりにもらいけり)

元旦の朝はみんな揃ってお屠蘇で「おめでとうございます」。小学生の頃あの甘ったるいお屠蘇が好きでした。3杯目のお代わりに母からいい加減にしなさいと。季語は屠蘇。



ふにゅふにゅと余力の緩む海鼠かな (ふにゅふにゅとよりょくのゆるむなまこかな)

それでもって幼い頃から海鼠が好きでした。やはり酒好きの兆候がその頃からあったのか。。。
海鼠は魚屋さんではバットのなかでぷかりふにゅふにゅしています。その状況を詠みました。しかし俎板にあげて腹に切り目を入れはらわたを出し、塩でこすって汚れを落としますが、その時きゅっと身が締まります。季語は海鼠。



子の親の運はそれぞれ初神籤 (このおやのうんはそれぞれはつみくじ)

親子だからといって運勢は同じ小吉とはいきません。季語は初神籤。
うっふふふふ、子と親とありきたりにせずに「嫁姑」にすればよかったかな。



約束のかたちは崩れ寒稽古 (やくそくのかたちはくずれかんげいこ)

あんなに家で練習していたのにいざ本番になるとうまくいきませんでした。悔しがる幼い子も微笑ましい。季語は寒稽古。