マティスとルオー展 −手紙が明かす二人の秘密−

アンリ・マティス(Henri Matisse 1869〜1954)とジョルジュ・ルオー(Georges Rouault 1871〜 1958)は共にフランス国立美術学校で象徴派の巨匠 ギュスターヴ・モローを師として学び、画風はそれぞれ異なりますが、二人は厚い友情で結ばれ生涯にわたり交友は続きます。その交友の手段は手紙のやりとり。マティスが亡くなる前年まで約半世紀にわたって続きました。今回の展覧会はその手紙に軸を置き、その時期の作品を紹介し足跡をたどります。


左はマティスの「ラ・フランス」右がルオーの「聖ジャンヌ・ダルク

マティスとルオーは、一方でフランス絵画の輝かしい伝統の継承者としての誇りと責任感を共有していました。それは、外国人を受け入れて輝きを増すフランス、あるいは第二次世界大戦に苦悩するフランス、そのいずれにあっても揺らぐことなく、自らの絵画で回答し続けた姿勢にも表れています。例えば、戦争を機に描かれたマティスによる《ラ・フランス》とルオーによる《聖ジャンヌ・ダルク》は、自由なフランスを象徴する堂々とした女性を描いてその白眉といえるでしょう。

ラ・フランス」のドレスの赤はマティスらしい明るく艶やか。やはりポスターにもなっているようにこの絵には惹かれました。



フォーヴィスム(野獣派)を代表する画家マティスは強烈な色彩とタッチで表現をしていきます。それは絵画だけでなく版画にも表れます。
マティスは1941年1月に結腸がんの大手術を受けました。奇跡的に助かったとはいえ車椅子生活となります。自由にキャンバスに向かい絵筆を操ることが出来なくなったマティスは彩色した紙を切り抜き、助手の手を借り制作を続けました。
マティス晩年の「彩色きり絵の時代」の版画代表作、上が「イカロス」<冊子ジャズ>より 1947年
下が「「刀飲み」<冊子ジャズ>より 1947年

















  

フォーヴィスムに分類されるルオーですが、派とは一線を画し自己の芸術を追求した孤高の画家であったといわれています。ルオーといえば濃い輪郭線が特徴ですね。パリの指物屋の子として生まれたルオーは14歳の時にステンドグラス職人に弟子入りします。その影響で黒々とした太い輪郭線、頷けますね。
上「気晴らしのための原画」 1943年
下「キリスト」 1937年
ルオーは師モローに君は宗教画を描くことであろうと予言めいたことを言われたそうですが、確かに宗教的な絵も沢山描いているようです。でも決して昔々に描かれてきたキリストではなく、うんと身近に感じられるキリストであります。そこがいいなと。













この展覧会、ルオーの作品が圧倒的に多いです。どちらかといえばマティスを期待して行った私はその少なさにもの足りませんでしたが、ルオーに感激した夫は大満足でした。
いつもいつもマティスの展覧会はマティスで一本立っていることはなく、大体○○をテーマにと他の画家の作品と並んでの展示が多いように思うのですが何ででしょうね。作品がそもそも少ない?
よく分かりませんが、ルオーが好きな方にはもってこいの展覧会です。




で、展覧会では作品展示は無かったのですが、紹介として写真でありました、マティスの「帽子の女」1905年
1905年の第二回サロン・ドートンヌで展示するために描かれたものですが、当時の評判は全く悪くマティスはずいぶん落ち込んだとのこと。でも私大好きです! 原色を多用した これぞマティスと思う作品です。
モデルはマティスの妻のアメリー。手の込んだ色彩豊かな衣装を身につけ、手には扇子、豪華な帽子と当時のブルジョワジーの典型的な女性像らしいです。
この色彩に自由を感じます!この絵、好きです!!



※写真はHP、そして購入した絵はがきに寄ります