川端龍子展 没後50年記念


日本画川端龍子はあまり世に知られた画家ではないですが、東京都大田区に生前住んでおり、記念館もありまして家から近いこともあり、また池上本門寺の本堂の天井には龍の絵が描いてあったりして(未完)大田区民にとっては馴染みのある画家です。
広尾の山種美術館で龍子の特別展を開催しているので行ってきました。











川端龍子(1885年(明治18年)〜1966年(昭和41年))は和歌山に生まれましたが10歳の時に家族と東京に移転。当初は洋画を目指し渡米しますが日本画家の洋画など誰も相手にしてくれず、ボストン美術館の「平治物語絵巻」を見て感動し帰国後は日本画に転向したとのことです。

彼が一番に取り組んだのは超ド級の『会場芸術』。会場と聞いて大型がすぐ連想しますね。そうなんです、作品はデカイんです。それまでの日本画の常識『床の間芸術』を突破し会場芸術を次々と産みだしたのです。こんな大きな絵 普通のお家では飾れないですものね。



「草の実」 1931年 大田区立龍子記念館蔵


会場は写真撮影OKでしたが、それに気をとられるのであまり撮影しませんでした。









「鳴門」 1929年 山種美術館





金閣炎上」 1950年 東京国立近代美術館





香炉峰」 大田区立龍子記念館蔵

龍子は偵察機に乗る機会を得て「上空より俯瞰した香炉峰を中心とする峰々、そして遥か遠くに流れる雄大な長江を取材」。機体が透けております。それについては「(機体の)迷彩に背景の自然の山を利用した」と龍子自ら語っていたとのこと。私的には自然の風景を壊すのも戦争とのメッセージと勝手に受け取りました。




「爆弾散華」 大田区立龍子記念館蔵
龍子のジャーナリズムが表れた作品といえます。家が終戦二日前に爆撃されまして庭の野菜が散る瞬間を描きました。















昨日は終戦記念日。ラジオで黒澤明監督の言葉を大林宣彦監督が伝え紹介していました。

戦争という犯罪に立ち向かうには、戦争という凶器に立ち向かうには、正義なんかでは追いつきません。人間の正気です。 正しい気持ち。人間が本来自由に平和で健やかで、愛するものとともに自分の人生を歩みたいということがちゃんと守れることが正気の世界です。政治や経済や宗教までもがどうしても正義をうたうときに、私たち芸術家は、表現者は、人間の正気を求めて、正しい人と人の幸せの在り方を築いていこうじゃありませんか。

龍子はこんな絵も描いていましたというところで、可愛らしい漫画的な描写による

「百子図」 
1949年 大田区立龍子記念館蔵

龍子は子煩悩であったとか、それを思わせる作品です。インドから上野動物園に象が贈られたことを記念して描かれたました。












「花鳥双六」 

雑誌「少女の友」の付録 
1917年

画家の双六とはなんて贅沢なことでしょう!


※写真はHP、絵はがき等によります。