堀文子展 at 神奈川県立美術館葉山


白寿記念での展覧会。白寿といいますと99歳でいらっしゃいます。hidamariさんのブログで知ることとなり出掛けました写真はEテレでご出演なさったときの写真。確か92歳の時です。綺麗な方です。うっすらお化粧をなさって。このお写真を紹介したいがために前回の記事でお化粧にふれたかったのです。
それぐらい先輩の女性として憧れを持ちました。画家としても生き方にしても。
堀さんは1918年7月2日、東京都千代田区麹町生まれの日本画家です。展覧会の紹介にありましたが、お母様がこれからは女性も自立できるような教育を受けるべきであると当時としては進歩的な考えをお持ちで、ならば画家になろうと女子美術専門学校師範科日本画部に入学。自立を目指しても当時は男女差別の激しい時代でしたから科学者は無理であろうと、美術の世界であれば可能と判断して美術に進んだとか。それも自分で決めたとのこと。小学校の頃からの自分を分析すると絵が好きでその能力があるかもしれないと。



作品の中で特に気に入った絵の絵はがきを求めました。
「浅間厳冬」1987年。NHK Eテレ[こころの時代」より。『山に住み、草木 と呼吸合わせながら日々を送っていると、 万物流転の定めが素直に我が身に染みる のである。』この頃は軽井沢にアトリエを構えていました。


















「幻の花 ブルーポピー」2001年。2000年、82歳の時に幻の高山植物ブルーポピーを求め、ヒマラヤ山脈の高地を踏破しました。この絵は「ヒマラヤの青き罌粟」を更に描き深めてバックを金色にしました。日本画らしくより幻の花が引き立ち私はこちらの方を好みました。














「花霞」1973年。時代が逆になりますが55歳の絵です。吉野の桜の風景です。私は吉野が好きなので選びました。私が行った時の翌日は雨で靄が桜色に染まりそれは幻想的な世界でした。
作品は春霞に染まる吉野山ですが、その時を連想し思い出しました。







「終り」1992年。『頭に種をぎっしり実らせ、大地を見つめて直立するその姿から、死は決してみじめな終末ではなく、生涯の華々しい収穫のときだ』と語っています。開花している花は確かに美しい、枯れた姿は哀れ・・・ではないんですね。種を実らせそこからの強さ美しさもあると堀さんの感性に打たれました。



とにかく絵を描くことには情熱を失わない画家です。2001年83歳のとき解離性動脈瘤で倒れ、入院した。生死の境をさまよい奇跡的に治癒しましたが、その時自由にならない体で、それなら顕微鏡を覗いて微生物を描こうと。ミジンコや珪藻、クラゲに熱中し、庭の虫にも熱中しそのような絵も展示されていました。



戦後には絵本絵や小説の挿絵・装丁なども生活のために描かれました。絵本に対しては子供だからといって手を抜くことはしません。『子どもには、最高のものを見せなくてはいけません。一心不乱に描きました。最高の美を見せなければ駄目になるんです、その子は。』
図書館で早速借りてきました。もう増刷されることはなくとても劣化しております。こんど読み聞かせで読んでみたいと思います。そして子供だからといって作者や画家を省かないでちゃんとタイトル・作・絵は伝えたいと思います。