2011年6月の俳句

馴れ初めは同窓会の夏衣

季題は夏衣(なつごろも)。夏の着物は麻、絽、紗と見るからに涼しげで、洋服のように肌を露出しなくても涼感を演出します。そこが日本の美。(実際着ている本人は暑いですけどね)。
毎年夏に同窓会があり、いつも着物で出席の素敵な女性がいます。その方の若い頃に思いを馳せて詠みました。その方は汗も出さずにしゃんと涼しげに着物をきていらっしゃいます。やっぱり心根が違うのかな、暑がる私とは。


蜻蛉生る試すかのよに羽広げ

蜻蛉生る(とんぼある)が季題。蜻蛉は幼虫をヤゴといって水中で暮らしますね。ヤゴが草や茎などにはい上がって羽化し蜻蛉に生まれます。そっとそっと脚を伸ばし、羽を広げている様子です。


垂れ並ぶ玉石垣の苺かな


静岡県の久能は明治29年に玉石の間に苺の苗を植えて栽培したそうです。温室の無い時代、冬でも石の輻射熱で苺を栽培できることを実証したのだそうです。
段々に垂れ下がる苺、可愛いながらも壮観ではありませんか。季題は苺。






せせらぎに迷い蛍や旅の宿

都会育ちの私は本物の蛍を見たことがありませんでした。是非にみたいと数年前湯河原の万葉公園に行きました。悲しいかな自然発生ではなく、飼育された蛍の幼虫を春頃放つ人工的な蛍狩ですが、初めて見る私にはそれでも満足です。近くに泊まった川辺の宿に蛍が1〜2匹。季題は蛍。

蛍で有名な句があります。
「じゃんけんで負けて蛍に生まれたの」
池田澄子さんの句です。最初はえっ〜と思いましたが、読み返すうちにだんだん引きつけられました。広い宇宙観というのか命の賛歌なのか、まだ上手く言い表せませんがそのような深さを感じます。



うつむきて釣鐘草の片思ひ


季題は釣鐘草。釣り鐘状に下向きに花を付けます。副題は蛍袋、カンパニュラ。
どうだとばかりに上を向いて咲いているのではないところに、ゆかしさと恥じらいを感じます。
ぐっと心に秘める片思いの恋。そんな思いを釣鐘草に託して。