今週のお題 「母の日に感謝を込めて」


ふたりの息子の母として、「母の日に感謝を込められなかった」お話しです。
あれはいつの日のことでしょうか、息子達が中学生の時だったと思います。日曜日とはいえ私は仕事で帰りのバスの中、「そうだ今日は母の日だわね。優しい息子達だからきっとカーネーションを後ろ手に隠して、ただいまとドアを開ければ「お母さんありがとう!」と照れながら差し出すに違いない。まあきっと金もないから1本だろうけれど本数じゃないのよ、1本に込められた愛よ!なんてね。うっふ、中学生ともなれば私のありがとうのハグは恥ずかしがるでしょうから、いっぱいいっぱい笑みでカーネーションを受け取ろう、何か気の利いた台詞をそえて、、、、」なんて、もうそのイメージが広がる広がる、勝手に。
家に着き「ただいま!」…誰もいないじゃん。そうだ子供達はクラブ活動で出かけているのだっけ。じゃあまあ、美味しい夕ご飯を作ってカーネーションの儀式を待ちましょう、ルンルンと料理にいそしむ私。
ただいまと次々に帰宅の子供たち。クラブで疲れ切って不機嫌そうに「ごはんまだ?」の催促。
ありゃ無いですよカーネーションが。ど・ど・どういうこと!!
描いた母子の愛の儀式はどうなったかと怒り心頭の私、いったい母の日をなんだとおもっとるのか!と感情を抑えられない大人げない母。なんと思いやりのない子供達と涙まで流しました。そこに帰ってきた父親、丸く収めるために息子達にカーネーションを買いに行かせたのかどうか今や記憶が定かではありません。
息子達の顔には気が利かなくて申し訳ない気持ち以上に、そこまでしてカーネーション欲しいかい・感謝を強要するのかい・子供のだだこねじゃとかいてありましたね。確かに大人げない母と自覚いたしますです。バスの中での想像が現実にあるべき事と思いこんでしまった独りよがりな母でした。
それ以来、わが家では「母の日」は他所様のイベントとなり、触れてはいけないことと相成りました。
息子達よ、後生だからあの時のことは忘れてね(__)。笑い話にしてね。