介護が始まる


夫の両親89歳と88歳の老夫婦は二人で宮城県塩竃で頑張ってきましたが、とうとうSOSの連絡が。そもそもは義父が朝起きたら、冷蔵庫の前で義母が寝ていて(実は倒れていた)うんともすんとも動かない。朝ご飯(卵焼きとパンを焼くのが義父の仕事)を用意するのに邪魔でしょうがない。寝室に運んで欲しいと電話がありました。(このあたりはまだ大事と理解していない義父。自分中心(笑))その電話も仙台の次男に電話するつもりが間違えて長男の夫にかかってきました。このとき私は留守でした。もしいればすぐに救急車呼んだ方がいいと判断したのですが。とりあえず弟が駆けつけて布団の上に運びました。


翌日私たち夫婦は塩竃に。アイスノンで頭を冷やし、お水を飲ませ少々の果物を食べてもらいます。持病の座骨神経痛で体中痛がり、動かすのに大変です。ちょっと動かせば痛い痛いの連発。意識と頭はしっかりしていてう〜ん大丈夫かな。細かく切った果物、プリンやいなり寿司が食べたいというので用意し、細かく切って冷蔵庫に入れ、お母さんに食べさせてあげてねと義父に冷蔵庫を見せ念押しをしたのですが、、、その日は私たちは日帰りしました。
次の日弟が行って電話で言うにはやはり入院させる方がいいと。それで救急車のお世話になりました。そもそもの原因は熱中症。座骨神経痛が原因とばかり思ったいました。夫は塩竃に向かいました。まず家の中の大掃除から始まり、病院〜義父の世話。
やはりおいなりさんは食べさせて無かったようです。お水だけは義母はほしがるので飲ませていたようで、夜中に何度も起こされて風邪を引いたと愚痴っているとか、本当に男親は自分のことしか考えていません(笑) まあ歳も歳ですから仕方がありません。
義母の容体も落ち着きました。時々自分の母親が入院しているときと錯覚するのか一瞬話がおかしくなりますが、それもほんの一時。ちゃんと現状を理解しています。ただしもう歩けることは出来なくなるのではないでしょうか。そんな不安はぬぐえません。
介護に二人でいくのももったいないので夫と私は代わり番こに行くことにします。入院している間に退院してきた時の受け皿の体制作りに備えなければなりません。市に介護の認定もしてもらわなければいけませんしね。あれだけ痛い痛いと言っていた義母さん、救急車で運んでもらうときも病院でも痛いと一言も言わなかったんですって。その辺息子達は良い格好しいと苦笑。弟はこれじゃすぐ退院させられるよ。義母には悪いけれど自宅での介護体制を整えるまで入院していてくださいが本当のところです。要介護認定の調査員が来るときにはちゃんと痛いと言うんだよ、援助してもらえる内容も金額も違うんだからねと念を押します。金額が違うという言葉に義母をピピッと来たようです(笑)頭はしっかりしています。


夫と交代して私が塩竃に。ちょっと落ち着いてきたお父さん。お義母さん、お義父さんのことすごく気にしているよ。病院に一緒に行く?と尋ねたら、そうだな母さんも私のこと気にしているようだからと。一緒に行きました。しばし老夫婦の久々のご対面。入院してすぐの時夫が連れて行ったときは固まってしまって何も喋らず、これは帰った方がいいと早々に帰ったようです。気持ちの整理がついてきたのでしょう。今日はよくお話ししていましたよ。
次の日、それじゃあお義父さん私 病院に行ってくるからねと声をかけると、私は行かんでいいかねと。う〜ん昨日行ったからきょうはいいんじゃない。病院の帰りにスーパーに寄って買い物もしなくちゃならないし、歩行もちょっと心配なので毎日は連れて行ってあげれなくてごめんね、お義父さん。
昨日私が帰り、今朝夫が向かいました。長期戦の構えに備えるべく、NTTに来てもらって電話回線の増幅とパソコンを使えるように工事してもらいます。
写真は本塩釜の駅のエントランスです。お義母さんもお義父さんもがんばって!