「公方様のお通り抜け」 西山ガラシャ 著


第七回日経小説大賞を受賞した作品です。たまたま西山さんの小さな会議室での講演会があり参加してその存在を知りました。小説よりこの講演会「時代小説の創作と、歴史こぼれ話」が先でした。
ガラシャ」というペンネームには「えっ、付けていいのか!」と先ず興味をそそられますね。そこからお話しは始まりました。「西山」は卒業した小学校が「西山小学校」だったからと。名字はついそこの地元の存在だったのね。ガラシャは洗礼名だからいいのね。どうしても細川ガラシャを連想して。そんな大それた事をと思いがちですが。
西山さんは小説を書くことに学生時代から興味があったのですが、普通に会社勤めをして結婚をして、本格的に書くことを決心し師につきます(お名前は失念)。鳴かず飛ばずの7年が過ぎ、恩師の一言「名古屋の歴史といえば信長・秀吉・家康だけに絞られがちだが、その他の人物での小説は書かれていないのだからそれを書いたらどうか。折角名古屋に住んでいるのだから」の一言で尾張名古屋に関わる人物に的を絞りこの「公方様のお通り抜け」を書き上げ受賞されたとのこと。やはりオリジナリティが大切なのですね。

お話しも楽しかったですし早速読みました。なかなか興味深くさくさくと読み進んでいきます。内容は日本橋の西にある戸塚村尾張徳川家戸山下屋敷が舞台。時代は寛政5年・1793年。戸山荘と呼ばれる屋敷は13万坪もありそのほとんどが庭園。巨大な池、箱根山という山、神社仏閣、小田原宿と同じ町屋まであるという、それはさすが尾張藩下屋敷。しかし、それも今や荒れ放題。そこに時の将軍徳川家斉がお成りになるという。(家斉といえばあの子供が50人もいたという女好きの将軍) 戸山荘への将軍のお成りは100年ぶりのこと。時は松平越中守の質素倹約で贅沢禁止の空気が充ち満ちている。その松平越中守も引退となるので、元々質素倹約とか辛気くさい事がお嫌いの20代の家斉公をお持て成ししたい、徳川家の筆頭尾張藩の名にかけて豪華絢爛に…
さて、庭園リニューアルに関わる戸山屋敷奉行とそれを請け負った大百姓の悪戦苦闘の数々で物語は進んでいきます。そうです、荒れ放題の巨大な庭園をテーマパークへと持って行ったのです。例えば龍門の瀧は将軍が飛び石を伝って池を渡ると、速やかに瀧の水がダイナミックに落ちだし飛び石は見えなくなるという水量の変わる瀧で、おぉ!と。怪しい洞窟がありそこでもおぉ! 町屋では各種のお店が物を売り団子を買っての再現でここでもおぉ! アトラクションの連続です。あの時代によく人力でそこまでの仕掛けを作ったと驚きです。
さて、将軍のお成り当日は……

※ 図は徳川林政史研究所所蔵の図より/span>
現在は都立戸山公園として箱根山が残っているようです。