「茶と美 − 柳宗悦の茶」  日本民藝館


日本民藝館井の頭線 駒場東大前駅から歩いて7分ほど。駒場公園に囲まれ閑静な住宅地にあります。民藝美、すなわち美の生活化を目指し思想家 柳宗悦(やなぎむねよし 1889〜1961年)が提唱した民藝運動で収集された工芸品が展示されています。この建物は宗悦が自ら設計しました。内部は撮影禁止なので紹介できませんが、素朴ながら無骨ながら骨太でまさしく日本の建物という感じですばらしいです。
所蔵品は陶磁器、染職、木漆工など柳宗悦に選ばれた諸工芸品。その中で今回は「茶と美」と題して茶道具の展示です。民藝の部類からみた茶道具はどんなものかと興味がわきます。



柳は茶の世界に興味はありましたが茶の道に入ることはありませんでした。茶に対して民芸家としての立場から茶器を見る。初期の茶人たちの自由な眼を賞賛しています。茶器ならざるものから茶器を選んだ先駆者たちに敬服しました。朝鮮では雑器であった井戸茶碗がまさしくその見立ての例ですね。大井戸茶碗「山伏」や刷毛目茶碗などが展示されていました。







河井寛次郎濱田庄司が共に民藝運動を推進し、彼らの茶道具も展示されています。





濱田庄司の作品の一つ「地掛鉄絵黍文茶碗〈じがけてつえきびもんちゃわん〉」益子・濱田窯 1955年。川崎市に生まれ東工大の窯業科で学び、京都に移りました。1919年に柳宗悦に出会います。渡英しセント・アイヴスで作陶生活を送り、帰国後は栃木県益子(ましこ)に移り、以後益子を制作拠点にしました。(1894−1978年)
いかにも益子焼らしい、肉厚でぽってりした茶碗です。





河井寛次郎の作品の一つ 「呉須筒描花文茶碗〈ごすつつがきはなもんちゃわん〉」京都・鐘渓窯 1931年。島根県安来市生まれ。東工大で2級下だった濱田庄司と親しくなります。1920年京都市五条坂に「鐘渓窯」を構えます。当初は雅な作品を作っておりましたが、濱田を介して柳宗悦と出会い作風はがらりと変わります。簡素で重厚な形、メリハリのきいた独自の文様が特徴です。(1890-1966年)



濱田も河井も実用に即した作品が主流です。暖かい温もりのある茶碗・菓子器。そんな茶碗でいただく主菓子に一服の茶。すこぶる心安らぐひとときでは。




迎えにある西館。栃木県から移築した明治初期の長屋門と柳が設計した母屋からなっているそうです。1935年に完成、柳が72歳で亡くなるまで使用されていたとのことです。見学できますがこの日は残念ながら公開日ではありませんでした。



※作品の写真はパンフレット・日本民藝館のHPから