東京中央区日本橋人形町

人形町、なんか時代小説の親分など居そうですが、銭形の親分は神田明神町だし、新吾は駒形の親分で、人形町は…いませんね。なんか錯覚させられる雰囲気。そうです、人形町も歴史のある街なのです。


今日(12日)の目的は和菓子の人形焼きを買うためです。人形焼きの老舗「板倉屋」さんです。13日に退院する義父の病院のナースステーションの皆様へのお礼です。もちろん「心付けは固くお断りいたします」と張り紙がありますが、さんざんお手数をおかけしてそのままでは済ませられないのは家族の気持ちです。義弟からも大きい物にしてと(笑)。
「東京のお土産です。皆さんでお召し上がり下さい」と言葉を添えれば受け取ってもらえるかもです。
ここの人形焼きは美味しいのです。小さいお店ですがここで焼いています。無くなれば「本日は終了しました」と札が出ますので早めに来ましたよ。帰りには列が出来ていました。それでもお店も昔のままで工場で作るなんて事はなく、大型化しないのが嬉しいですね。まれちゃんのように地道にコツコツがよろしいようで。おまけに熱々焼きたてをいただきましたよ。ウマイ!



この通りは甘酒横町と付いておりますよ。私は辛口が好きなんですけどね。まぁそれは関係ないとして(笑)、ちょっと路地にはいるとこんな感じです。小料理屋さんが並んでいます。好きやわぁ〜。


この料理屋さんの建物は有形文化財に登録されています。よし梅芳町亭。



2階の出窓に腰掛けて粋なお姐さんが夕涼みなんて昔もきっとあったでしょうね。


江戸開府に伴い家康は「地代免除」の特典を設け江戸城下への出店を奨励。日本橋界隈は京や大坂から商人が沢山集まり商業の街として発展しました。吉原も元はこちらにあったようですよ。 1657年の大火事で郭がほとんど焼け、今の浅草に移転されたそうです。その代わり京の歌舞音曲の「中村座」「市村座」が歌舞伎を起こしたのもここで、芝居小屋が並び、周りには人形浄瑠璃や見せ物小屋も並び江戸の一大娯楽街の道を歩むのですね。



なぜに鯨の銅像が??
「鯨と海と人形町」の碑を読むと納得です。人形浄瑠璃の人形を操る糸は鯨の髭を使ったとのこと。微妙な首や手の動きもくじらさんのお陰なんですね。
人形を作る人形師や雛人形、手遊み(てずさみ)物を扱うお店が沢山並んでおり「人形町」という地名もそれが由来。


江戸末期の天保の改革による芝居小屋の移転で一時期活気を失いますが、明治になると復活します。遊郭を失い、芝居小屋を失い、今度は芸妓の置屋御茶屋で復活でしょうか、芳町には沢山置屋ができます。柳町、新橋と並ぶ一流の花街としてその名を馳せるようになります。貞奴姐さんは総理大臣伊藤博文など名だたる人物から贔屓にされ、名実ともに日本一の芸者であったとか。「粋でおきゃんで芸がたつ」ともてはやされたの芳町芸者。独特の下町気質と、秀でた遊芸が売りだったとか。
しかしそれも現在では「濱田家」の1軒だけになってしまったそうです。




人形町の生い立ちを辿る散策もそろそろお昼時。えらく人が並んでいます。なになに軍鶏鍋・親子丼の「玉ひで」とな。こんなに並んでまでねぇ〜と他を探すけれど特にこれといってなし。だいたい並んでまで入ることは滅多にしませんが、大人しく並びましょうかね。コース料理だと並ばずに入れるようですが、3300円か5500円。特にそれが目当てで来たわけではないので、並びましょう。だいたい1時間くらいで順番が来ました。




軍鶏の元祖親子丼「奥義を頑なに守りぬいた、親子丼の神髄とも言える逸品です」とお品書きにありますよ。1500円。これでいいんでないかい。味付けは関東らしく濃いめの甘め。でも丼はこれくらいの濃さがいいですわね。もう慣れました。相席のところどころ関西弁のカップルは、これは後でのどが渇くねと言ってましたが。
しかしながら、親子丼って鶏と玉子だから親子丼であって、まさか軍鶏の玉子を使っているわけないでしょうから、、、、身内丼と呼ぶべきか? と悩む私であります。