3.11 震災復興途中の気仙沼・陸前高田

23日、正午近くのフェリーで大島から気仙沼へ。2日間お世話になった大島です。

大島は約3000人の人口ですが、震災時には2000人が孤立したとのことです。休暇村はそのときの避難場所として開放されました。海岸沿いを歩くとまだまだ震災の爪痕は見られますが、島自体はほとんど復興したと言っていいのではないでしょうか。
ハイキングしていて、野蕗を刈っているおばさんに声をかけると、「亀山へ登るの気をつけてね。港からの近道の標識を立てろと役所に言ってるんだけど、なかなかしない」と遠回りになる私たちを気遣ってくれます。
亀山の頂上近くでは草刈りをしている人たち5人が休憩中で、「お茶っこ、飲んでいくかね」「ありゃ、もうねぇわ。すまんね」 皆さん、気さくで優しい。

気仙沼の港についてさあ、お昼にしましょう。復興まっただ中。食べ物屋さんも仮設店舗で営業中。







その中で、漁師の海鮮丼のお店に入りました。マグロがいっぱいの丼です。旨い!!







お店の壁には訪れた人の励ましのメッセージが所狭しと書かれています。北海道からも九州からも全国から訪れてくれたのですね。


そう、私たちが震災の地に出来ることは旅して、お金をそこで使うことです。もうこの歳ではボランティアも足手まといになりますからね。今回の小旅行はそれも目的です。うちなどは微々たる金額ですが、ちりも積もれば山となる。そして土地の人は来てくれることが何よりうれしい。皆さん暖かく旅行者を迎えてくれます。「大変でしたね」の言葉はもう要らないかもしれません。「食べ物が美味しい、綺麗な海、来て良かった!」の言葉が良いような気がします。
お土産もいっぱい買いましたよ。あっ、すみません。皆さんには、、、、忘れました(汗)

気仙沼から陸前高田に向かいます。途中 防波堤のかさ上げ工事をしていますが、まだまだ道半ばです。それが済まないと海近くの店舗も住宅も建てられないのが現状ですね。国道沿いのお店は仮設店舗です。


陸前高田に近づくと言葉を失います。津波の被害の大きさをこの工事の大がかりなことからも察せられます。



地べたのかさ上げ工事。地面から作り直しですもの、そりゃ年月がかかりますわね。地べたを整えて、やっと電気・ガス・水道の生活基盤のインフラ工事、そして建物になるわけですから、まだまだ完全復興も残念ながら遠い先かと実感します。
しかし、国道は自家用車よりトラックが多いですし、そこでは皆さん頑張っていらっしゃいます。ただただ人工さんが足りないんでしょうね。
この光景をみると政府は何をやっているんだと責める気は無くなります。地べた作りからの復興ですもの時間はかかるでしょう。だからといって一刻も早い完全復興を願わないなんて、そんなことはありません。
ただ一本松には遠くから手を合わせることしかできませんでした。

辛いことですね。復興の証でもある一本松も、目にする住民の方は思い出すから見たくない方もおられることでしょうし、かといってその松は観光客を呼ぶ存在でもあったりする。復興には町としてお金は必要です。残す残さないも苦渋の選択ですね。

少し気持ちを落ち着けて、10年来お世話になっているお店へ。気仙沼のコヤマ菓子店さん。気仙沼で捕れる鮫の軟骨の粉末をインターネットで買っています。ですからお会いしたことはないのです。お菓子屋さんですから鮫軟骨の粉末を使ったクッキーを焼いています。それでお菓子屋さんに粉末があるのです。それを私は膝の為にコンドロイチンを摂取しているんざますのよ。効くか効かないかは私の場合、気持ち次第(笑)
震災でお店は津波に遭いましたが、今は海より奥まったところに新店舗を構え元気に営業中。ぜひ寄らなければ。。。。生憎、店主はお留守でお会いできませんでしたが、日頃の感謝をお伝えし、鮫軟骨の粉末とケーキを買いました。夫が選んだケーキは名前が「パッション」。復興への情熱と感じたと。美味しいケーキでしたよ。