「ゴリラの森、言葉の海」

霊長類学者の山極寿一さんと作家小川洋子さんのふたりの対談集。新聞広告で興味を持ち、図書館で予約し借りて読みました。最近、目の衰えもあるのと難しい内容は頭脳がついていけないという悲しい老化現象(これは前からか。。。)で読書からちょっと遠ざかっていましたが。この本は興味深く読めました。

f:id:nikkokisuge:20190617161403j:plain:left 全く畑違いのお二人が関心を同じくして語り合えるのは言葉を紡ぎ出す作家と、言葉のない世界において行動で意味を感じ取ろうとする動物学者、お互いへの尊重が根底にあります。
霊長類に興味を持つ小川さんは動物園にも足繁く通い、ゴリラへの疑問を山極さんに問います。山極さんは人間社会に置き換えたりして論理的に、ユーモアを交えて答えます。

ゴリラの大人のオスはシルバーバック(銀の背)といって、背中の毛が白くなります。その背中を滑り台にして子供のゴリラは遊ぶそうです。ゴリラのオスは子育て上手。

「ドラミング」といってゴリラは胸を叩きますが、あれは威圧でも戦いの宣言ではなく、意思を伝える手段であり、好奇心を持ったり興奮したりするとするそうです。また自己主張をしたいときにも使います。自分を少しでも大きく見せて、自分と相手が対等であることを主張するのだそうです。
他の群れと出会ったとき、ドラミングすることで、他の群れに近づかないよう警告をしているのです。他の群れのリーダーもドラミングを返します。
遠くにいるゴリラの群れにもリーダー同士はドラミング合戦をして意思疎通をはかり、衝突を避け、平和にはなれあおうという呼びかけでもあるんですね。決して戦わないで紳士的であります。
きっと人間の言葉にすれば「俺達はここにいるぞ~」とドラミングで伝え、それには向こうのリーダーからドラミングで「りょーかい」なんて、答えが返って来ているのでしょうね。
(まぁ、なんと言葉にするとちゃちいことか(笑))
映画「キングコング」でコングがドラミングをして、相手を威圧するシーンがありますが、あれは全くの間違いだそうですよ。
必然的に人間との比較も語られるわけですが、TOKYO FMで特別放送での対談で

「言葉に頼れば頼るほど、僕たちはそれ以前に獲得した豊かな世界から離れていく。それは生物としての人間にとって、あまりにももったいない損失ではないか」(山極)

「ゴリラについて、考えれば考えるほど、言葉を持ってしまった人間の悲哀というものも味わってしまう」(小川)

言葉を使い、文字を使い文明を進化させたヒトは「言葉の海」のなかで生きています。その海からゴリラの森を眺めることに、失ったものへの愛惜を思い起こさせてもらっているのかもしれない。それは飽きずにず~っと眺めていられるものだから。
読後はそんな気持ちになりました。
アフリカの熱帯雨林へは行けないけれど、動物園に行きたいな、ビデオがあれば見たいなと思いました。