速水御舟 at 山種美術館


速水御舟(はやみぎょしゅう1894〜1935) は浅草生まれで少年期より絵に興味を持ち、襖に描いた鶏の絵が歴史画家の松本諷湖の目にとまり彼の画塾に入ります。初期には新南画と言われた今村紫紅の影響を受け、琳派の装飾的な画法も取り入れ、西洋画の写実技法をも取り入れました。しかし1つの様式にこだわることなく画風を変え独自の世界を切り開いていきます。アトリエには他の者は入れさせず、薬品なども購入していたということなので、絵の具に混ぜたりして独特の調合をしていたのでしょうね。寡黙な大人しい人ということですが、ちょっと危ないところもあったのか。。。(笑)
40歳という短い生涯の上に関東大震災で初期の作品が多く焼失し、現存は600点程といわれそのうちの120点を山種美術館が所蔵しています。




速水御舟といえばこの「炎舞」ですね。輪郭を取らず絵の具が絹ににじむようにして描いています。黒に朱が混ざり闇を表現。「もう一度描けと言われても二度とは出せない色」と御舟も語っていたそうです。1977年に重要文化財に指定されました。
軽井沢で滞在した約3ヶ月間、毎晩焚き火をし群がる蛾を写生していた成果でしょう。










私がこの展覧会で気に入った3点を。買った絵はがきからスキャンしました。

「桃花」(1923年)。長女・彌生さんの初節句を祝って描かれました。優しい女性に育つようにと父親の祈りがこもっているようでとても可愛らしく生き生きした桃の花です。彌生さんはご存命でこの展覧会にもいらしたようですよ。













「柿」(1923年)。柿の量感・黒ずんでいるところなど写実的でよかったです。



















「牡丹花(墨牡丹)」(1934年)。花の絵は色が命、色が醍醐味ですが、あえて黒。しかしながら墨の濃淡で描かれた気品漂う牡丹ですね。「孤高の一輪」と表現する方もいらっしゃいます。
亡くなる1年前に描かれた作品です。古典の模写から始まり装飾的な琳派から写実へと変貌してきた画家 御舟が最後にたどり着いたのは墨の世界。もっと長生きしていたとしたら、更に変貌を重ねたでしょうか。