8/11 圓朝忌

俳句の兼題に「扇子」が出まして、身近すぎると言えば身近すぎでなかなか苦労しておりましたところ、8/11に初代三遊亭圓朝師匠の法要が谷中の全生庵にて執り行われ、噺家の商売道具である扇子のお焚き上げがあると知りました。落語協会主催にて行われますのでそうそうたる落語家が集まります。こりゃいかなあかんと楽しみにしておりました。


まず、圓朝さんにふれておきますと、天保10年4(1839年)江戸湯島に生まれます。 明治33年(1900年)までの61年の生涯。幕末から明治時代に活躍した落語家で三遊派の中興の祖であり宗家といわれています。
圓朝さんの新作落語は名作が多く、現在まで受け継がれています。お馴染みは「文七元結」「芝浜」「死神」、そして怪談ではなんといっても「牡丹灯籠」。
さてその「圓朝」の名は誰も受け継いでいませんね。1900年以降、藤浦家が預かる名跡となっているとか。この名跡が藤浦家のものになったのは、当時青果問屋の当主である藤浦周吉(三周)が圓朝名跡を借金の担保にして、圓朝を経済的に支援、つまりはスポンサーになったわけですね。
さぁ、今後この名跡を与えられるのはどなたでしょうね。
私的には古今亭志ん朝師匠がもう少し長生きしていたならば…と思うのですが、それはせんなきこと。


午前10時杉全生庵(ぜんしょうあん)に着いてみれば、法要の真っ最中。全生庵山岡鉄舟ゆかりのお寺であり、鉄舟との縁で圓朝師匠のお墓がここに建てられ、圓朝遣愛の幽霊画などが所蔵されています。












先ずはお墓参りをさせていただきましょう。
圓朝師匠のお墓。後方に写る金ピカの観音像は永大供養の納骨堂です。観音像の作者は北村西望さんで、長崎の平和祈念像を作られた彫刻家です。この情報はお焚き上げを待つ間に圓朝忌常連らしいおじいちゃまから聞きました。圓朝名跡預かりの件もこのおじいちゃまから聞きました。話し好きで藤浦家の諸事情まで聞かせてくれましたが、それは割愛。






法要も済み、先ずは坊様、虚無僧が階段の両脇に段々に並び、全生庵の住職がお経を上げる中、金馬ご老体やさん喬師匠 協会会長 市馬師匠、副会長 林家正蔵師匠を筆頭に次から次へと使い古した扇子を放り込みます。扇子供養が始まります。









古扇お焚き上げせし圓朝忌 

ふるおうぎ
おたきあげせし
えんちょうき









柳亭市場会長のご挨拶。なんかずいぶんお痩せになったような……
若いのに会長を勤め上げるのも気苦労が多いのではとファンとしては気になります。

















近くにいた中堅どころの噺家の会話〜〜〜
今日は歌丸師匠は来れなかったんだね
そりゃ、無理だろうよ、あの体じゃ。
来てさ、後ろに幽霊の軸を飾ってあげりゃいいのにさ
一番の供養だよ(圓朝さんは幽霊画の収集家)
似合うよきっと

あらら、なんとまぁ口さがない落語家さん達だこと。と、思いつつ思わず笑ってしまった私。ごめんあそばせ、歌丸師匠。


市馬会長の挨拶も済み、司会者の噺家さんが締めを言います。
これにて法要も無事終了となりました。
圓朝師匠の法要は終わりましたが、皆様には男女のほうよう(抱擁)はどうぞお続けくださいますように
ですって、もう爆笑の渦でした。




さて、この後は圓朝忌にちなんで、東京藝術大学美術館で開催されている全生庵三遊亭圓朝 幽霊画コレクションへ、ちょっと涼しくなりに行きました。全生庵から歩いて15分くらいです。
幽霊画というと、番長更屋敷のお菊さんや四谷怪談のお岩さんといい怖い恨み辛みで化けて出る怖いお顔がほとんど。
しかし、このポスターの幽霊のなんと美しいことか! 行燈に浮かび上がるお顔はそれだけでも恐怖なのですが、「おいで」と誘うエロチックな表情にもみえますね。「ボク、どこまでもついて行きます!」といってしまいそうな。
鰭崎英朋 作 [蚊帳の前の幽霊」です。なぜか幽霊というと蚊帳ですね。







美しい幽女の二点
左が伝円山応挙「幽霊画」
日本で馴染み深い足のない幽霊は、円山応挙がはじめて描いたとされています。髪は乱れていますが顔はふくよか、むしろ美人画の部類に入るような。名前の前に「伝」と付いているのは、応挙かそれともお弟子さんが描いたのか分かりませんので「伝」とつけているようです。

右が渡辺省貞「幽女図」

火鉢のもうもうとした煙の背後に浮かび上がった幽霊。しかししっかり足があります。
しかも髪はしっかり結ってあり、泣き崩れる姿が官能的でありますね。このような幽女であれば「ボクが悪かった! 許しておくれ」と言ってしまいそう。
しかし表情を隠しているのがアヤシイ。。。。。


左手は不自由ですが、尾てい骨の打撲も日に日に良く、念願の圓朝忌に行くことができまして、もう満足な一日でした。