筋通す母、もう一つ筋がありました


前回のブログで義母は義父を先に逝かせその後すぐに後を追い、妻としての筋を通したと書きました。確かに妻としての筋はあると思います。それも事実であったと思います。
通夜・告別式を終えて、みんなで微笑んだことがあります。「いやいや自分への筋もちゃんと通していたね」と。
義父のお葬式は、年齢も年齢で会社回りの同僚や後輩でさえ亡くなった方も多く、また連絡先も不明です。地域でのお付き合いも好きではなく参列される方も少なかろう故に、ひっそりと身内だけの家族葬としました。確かに息子達夫婦、孫2名、義父の実家の従兄さんひとりと、弟の会社の人のお手伝いと、これぞ家族葬の見本みたいな式となりました。だからといって身内の悼む気持ちには変わりありませんので、これで良し。

お葬式を終えて、どこからか知れ渡ったのか町内の組長さんの知るところとなり、残る義母から情報を得るために施設に出掛けてくださいました。時すでに遅し、義母は入院していましたので情報は得られませんでした(施設は個人情報保護のため出た後の病院等は知らさなかったようです)我々も実家に行ってはいるのですが、そのときに運悪くお逢いしていないので、皆様にご迷惑を掛けたようです。

それではいかん、やはりご町内には知らせようと。ましてや義母は婦人会の役員をしたり民生委員を勤めていたりしましたので、町内では顔役です。顔が大きい、いや顔が広いのです。
そうしましたら通夜にも告別式にも義父を上回る参列者がお別れに来てくださいました。

もともと義父は節約家、上中並とあれば並を選ぶタイプ。義母は大盤振る舞いの上を取るタイプ。納棺されて中4日も部屋を貸し切ることになり(火葬場が満杯のため)、費用も大きく膨らみました。参列者が多い分、焼香も長くなり、自然に住職のお経も長くなります。義父の時は10分足らずでしたが、義母は優に30分越え。出棺車はキャデラックで広々(これは費用内な感じ)、義父は普通の狭い車。

すっかり義父のお葬式がかすんでしまいました。
子供達は声を揃えて
「さすが母さん、お金をど〜んと使っていったね」
「父が生きていたら、4日間も部屋を借りるのは勿体ないから、家に連れて帰って待とう と言うよね」
「私たち嫁を4日間呼びつけてお守りさせたしね(爆)」
「なんか父が前座になっちゃったね」
「紅白の勝利の紅組 トリを勤めたようなもんだよ」
と、らしい母に微笑みを。

やっぱり自分への筋も通した気がします。
きっと「よしよし」と旅立ち、「おとうさん、どうもね。お待たせしました」と涼しい顔で言っているに違いない。