名古屋人の吝嗇と排他的気質はどこから

もう5〜6年前になります。雑誌だったかしら名古屋人の気質について書いてありました。筆者の名前も何処のどなたかも覚えていませんがとても印象に残りました。名古屋出身の私は大いに納得したのであります。名古屋人の気質は江戸時代から受け継いでいるというのです。

ご存じのように江戸時代の徳川御三家は水戸・紀州尾張。「将軍家(江戸)に後嗣が絶えた時は、尾張家か紀州家から養子を出すこと」になっておりましたが、その筆者曰く、尾張藩から将軍は出ていない(出していない)。何故かというとお金が掛かるから。。。。確かにケチだわ。
排他的な性格について筆者は、尾張には宿場を設けなかったと。つまり寝泊まりや滞在を拒んでよそ者は入れなかったと。。。。確かに村根性だわ。
名古屋に転勤になった方(特に営業職の人)はとても仕事がし難いといいます。そうなんです、名古屋は親類縁者が大好き。親類縁者の紹介であれば胸を開きます。それはよ〜く分かります。そんな光景よく目にしました。冠婚葬祭が派手なのも親類が集まるのが好きだからだったりしてね。

これを読んで得たり。多少自虐的ではあるにしても話のネタには面白い。それ以来酒の席で披露すると受けましたね。みんな喜んで笑って盛り上がる。どうよ名古屋人の性格は江戸時代から脈々と受け継がれているんざますのよ。歴史があるんですのよなんちゃって。

それで、このブログにも書こうと思いました。が、しかし、酒の席では笑って済ませられることも文章にすれば残りますから、確かめてからにしようと。



で、調べてみると尾張国に宿場があるじゃないですか! 鳴海宿と宮宿(熱田神宮の近く)の二つ。鳴海も現代でこそ緑区となり名古屋市内ですが昔は鳴海町でしたので城下から離れていたと推測されます。しかし熱田神宮は昔から名古屋の熱田神宮でしたからね。尾張に入るでしょう。宿場を設けなかった、すなわち排他的と結びつけられる確信が崩れ去る。



将軍を出さなかったからケチ。参勤交代でお金がかかるんです。確かに8代将軍吉宗から14代将軍家茂までは紀州家の血筋なんですね。江戸時代中期に徳川氏の一族から分立した大名家「御三卿(ごさんきょう)」なる大名家が設けられ御三家をサポートします。田安徳川家一橋徳川家清水徳川家です。御三卿は吉宗の子や孫たち。吉宗が尾張藩から将軍を出させないようにした。どうもお金が掛かるだけの理由ではなく、この御三卿創立の影響があったようです。将軍を出せない圧力を掛けられていたようです(しかしそれに負けるな尾張藩!! もっと戦って欲しかった)

自信を持ってケチと排他的の理由を言えなくなりました。さあ真実は何処にあるのでしょうか。