なんでいつも私なの・・・

先週の水曜日から塩竈の介護に来ています。前夜の義父からの電話がちょっとおかしかったので。
着いてみると寝間着のまま。いつもきちんと着替えているのに、背広に。これは昔からの習慣で家にいる時も背広なのです。勤めていた頃は帰宅すると和服に替える昭和のお父さんでしたが、リタイアしてからは和服は止めて背広です。まぁ柄シャツに上着ですね、まさかネクタイはしていません。どこの病院へいっても「いつもきちんとされていますね」と言われます。ちょっときちんとしすぎじゃねぇと思ったりもしますが(笑)

電話でおかしかったことを聞いてみると、夢の話であってようです。全然噛み合っていないので。夢と現実がこんがらがっちゃった。
翌日には内科クリニックへ、その翌日にはペースメーカーの電池検査、その翌日は皮膚科へと毎日病院通い。がしかし、皮膚科の待合室で様子がおかしくなりました。口からぶどう色のものを垂らします。皮膚科の看護師さんも、とにかく内科に行ったほうがいいと。それでいつもの内科へ。足元もふらふら。抱え込んでタクシーに乗せる。
内科も緊急で往診してくれました。レントゲン・スキャンをして、熱はないけれど肺炎にかかっているのと、スキャンしてどうも肺に影があるのが気になるので、入院するほうがいいとの判断。
前回と同じクリニックから救急車で搬送されました。「また私の時にかい」と心のなかで思いながら。しかし今回の義父は「3食ちゃんと食べているのになんで私が救急車に乗せられて入院しなくちゃいけないんだ!」という元気はありません。
でもいろいろ検査されて病室に運ばれたら、「私への説明・了解もなく運ばれた」と言ってましたがね。いろいろな疑いがあるので検査をしましょうということで2週間は入院となりました。

翌日は義弟が着て身の回りのものを運んでくれて、今日はお義姉さんゆっくりしてくださいと優しい言葉。お任せしました。
弟によると着いた時は点滴やらなにやらでベッドで大人しくしていたけれど、オムツなど必需品(オムツはそれぞれの病院の看護師さんの希望(好み?)もあるので、どういうものが必要か看護師さんに聞いてから買いに行くほうがいいです)を買いに行き戻ってきたら、ナースステーションで義父が、「退院させてほしい」と直談判していたとのこと。点滴を受けて管が外されて歩けたのかとその執念や恐るべし。その話をきいて我々家族はあぁと深い溜息とともに苦笑。

今日私が行ってみれば、その元気はもはやなく、目がトロンとして認知症特有の感じです。それとも薬のせいかしらね。ただただ「家に帰って治す」と。「退院を決めるのはお父さんでもなく家族でもなく、お医者さんです」との応酬が10回以上繰り返されました。

もう、一人では家に置いていけません。フルアテンドのケアを考える必要が来ました。ケアーマネージャーとも相談をしました。
入院をしていてくれたら家族は安心です。

夫とも逐一報告連絡しているのですが、、、なんだか夫もああいえばこういうで面倒くさい。まさしくお父さんの血だわと、ひとり悪態をついて……さぁビールでも飲むべ。