塩釜にて8月の末

夫と交代して私が今夫の両親の塩釜にいるのですが、夫は頬に長い縦シワを作って、げっそりやつれて帰ってきました。家の中の大掃除が大変だったようです。おかげですっかり片付いて元の家に戻りました。もともと義母はきれい好きで家の中はとてもきちんとし清潔にしていたのです。これだけ綺麗にしていれば貧乏神も寄り付かないわと見習おうと思ったものです。そんな義母がゴミ屋敷手前に陥ったときの家の中を見て私たちは呆然としショックでした。なかなか手をつけさせてくれなかった両親、この入院を機会に夫は大掃除にかかりました。家にいる義父の抵抗に合いながら。入院の義母はちゃっかり、もうどんどん捨てて頂戴と涼しい顔です。現場にいないからね(笑)。義父も観念しましたが、二人の寝室だけは深入りはしません。見えているところだけの片付けです。あまり土足で踏み入るようなことはしたくないので例え親子でも。そんなかんなで夫も疲れが出たのでしょう。きれいに片付いた後に私が登場です。ごめんあそばせ。


仙台から仙石線(仙台ー石巻)に乗ります。こんな車両は初めて乗ります。片側が普通のベンチシートでもう片方はボックスシート。珍しい。東北に旅をなさった方はご存知でしょうが、電車は乗客がボタンを押して開け閉めするのです。冬など冷たい空気が入らないように乗降りがなければ無駄に開けないんですね。今でも私は慣れなくて駅に着いてもぼっと開くのを待っているアホですので、後ろの人が気を利かしてボタンを押してくれます。


義母は日に日に元気になっています。ベットで寝返りも打てない起き上がることもできない状態でしたが、ベッドに掴まって起き上がれるまでに、ベットですわって食事もできるまでになりました。歩けるようにリハビリが始まっているのです。その効果が出てきました。本人は帰りたい一心で頑張っているのでしょう。元気になった分 口も達者になりました(笑)。義父に健康についていろいろ世話を焼いています。「救急車で運ばれたお前にいわれたくない」と義父は返しています。面白いんです、二人の会話。
義父は私たち夫婦が入れ替わりで2日ほど留守したときにひとりで病院へ行き(もちろんタクシーですが)、それ以来お見舞いが日課となりました。仲の良い老夫婦です。




塩竈での私たちの寝起きは2階です。最初の介護にきたときは1階〜2階の往復が日に何度とあり、てきめん膝にきました。痛いのです。それで1階の和室にかえてもらうべく、夫に和室をきれいにし整理をしてもらいこんな状況になったのですが、、、、私が聴けるように張り紙がしてありますが『CD生きてます」生きてますって怖くないですか! いろんな整理のボックス、確定申告/家計簿/保険関連などなどなどがずらり並んで、夫が両親の為に整理したのですが、嫁の私がこの部屋使っていいですか! 4名の祖父母の写真が並んでいます。私が嫁になる前の遠く前に皆さん亡くなっているので会ったことがありません。皆さん、笑顔ではなくきりっと口を一文字に閉じ私を見据えています。「しっかり介護せよ!」と見張られているようで怖くないですか!(笑)。
それで、やはり落ち着かなくて2階に寝ることにしました。しかし膝を考え極力2階に上がらないですむよう1階に日常生活の基盤を移しました。で、この1階の和室に慣れるようごろっと昼間横になったりします。まずは祖父母の皆さんに慣れなくちゃ。まだまだ時間がかかりそう。